オレの支離滅裂な人生の各ページの中でひときわ頂点極めた二年間に及ぶ軍隊生活。
もっとも、なにも自分の軍隊経験を誇らしげに語るつもりはない。その手の内容ならいろんな書物で読むことが出来る(注1)。
ここではオレが最も印象深かった、かつ、恐らく自分だけにある特殊体験の幾つかだけをフォーカスしてそれを軍隊という視野で面白可笑しく語ることにする。
ただし、実体験はちっとも面白くも楽しくもなく、残酷かつ悲惨だったことを念頭に置いて読んで欲しい。
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アメリカの五つ星将軍マッカーサー元帥は彼自身の軍隊生活を振り返りこう締め括ったとされる。
「 100 万ドルで私にもう一度軍に入隊しろと求めたら 私は断る。
しかし、
100 万ドルで私の軍の想い出を買いたいと言うなら私はもっと断る。」
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入隊
大 学を卒業したオレは間もなく軍の召集令状を受け取る。
長かった大学生活。
半ば荒れ放題だったが。。。
もう遊 びは御免だという矢先にこの通知は新鮮だった。
「戦争ごっこが出来て、銃を撃ちっぱなし出来る!こりゃ面白い!」
(ランボー)
入隊当日。見送りに来た母とカノジョ( P.S. 今の嫁さんではない)の見守る中、オレは軍の列車に乗る。
「長官の言う事はちゃんと聞くんですよ!」と母。
「応援してます。私の事は気にかけないで。あなたが除隊するまで待ってます。頑張って!」とカノジョ。
自分はこれから起こるであろう新鮮な体験を楽しみにうずうずしていた。
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兵役に就くにはまずトレーニングセンターに入らなければならない。
オレの場合、それは「成功嶺」というところだった。
成功嶺 写真
「長官に敬礼!長官に報告いたします!学生マー今からお手洗いに行きたいのでありますが、許可願います!報告完了!礼終わり!」
訓練センターに入ってから毎日長官には大声で応答、長官の命令通り走り、飛び跳ねり、軍歌を歌いながらロボット行進する慌ただしい日々。些細なこともいちいち長官に報告しなければならない。
「その前にまず精神スローガンを復唱だ!実施!」長官も怒号に命令を返す。
「雄壯 ! 威武 ! 嚴肅 ! 剛直 ! 安靜 ! 堅強 ! 確實 ! 速決 ! 沉著 ! 忍耐 ! 機警 ! 勇敢 ! 」オレはオシッコを我慢しながらロボットの様に足踏みしながら大声で怒鳴り応答した。
「よし!学生マー以下5人は今からお手洗いまで行進し、3分後ここに戻り待機せよ。実施!」
それは軍人と言うよりは受刑人である。
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我 々新兵は毎日ヨレヨレの作業服を着、丸刈り頭で家畜のように手荒く扱われ、台中の無慈悲な太陽の下で筋肉痛と脱水を催し、体力の極限までハードなトレーニングに駆り出される毎日。
(戦闘訓練のイメージ図)
そんな激しい野外訓練のある日のこと。
「おいっ!マー、連隊長お呼びだ!早く行け!」
連隊長とは我々と毎日顔を合わす、生活を共にする連隊と言う単位の指揮官、いわば責任者だ。
激しい訓練からいったん逃れるものの、「いったい何の用があるんだろう?」と不安を感じつつ、とにかく遠くで俺達の訓練を観てる連隊長のところへ走る。
駆け着 けて見ると連隊長の傍にもう一人の長官が立っていた。オレは二人の長官の前で直立不動の姿勢で怒鳴るように唱名する。
「長官に敬礼!長官に報告いたします!学生マーただ今来ました!報告完了!礼終わり!」
(長官と会話のイメージ写真。映画:號角響起より)
「長官殿、コイツです。」連隊長は傍の さらに エライ長官にオレを紹介する。
「キサマかぁ~、日本帰りってヤツは?」
ギラギラした目つきで、そのエラそうな長官はオレを値踏みするように聞く。
「長官に報告いたします!はい!学生マーがそうであります!報告完了!、、、」
ヤバい。早速目を付けられてしまったのか?俺が日本帰りというだけで?
入隊時に自分の履歴に日本滞在云々を記入したことを思いだした。
当時は今の様に親日ではなく、反日が主流だったご時世。
「日本帰りだなんてバカ正直に書くべきじゃなかった。。。」すべては後の祭りである。
瞬時にオレは日中戦争の歴史を脳裏でおさらいした。しかし何も思い浮かばない。
ヤバいよ。。。本当にヤバいよ。。。オレは歴史に疎いんだよ。。。
ここは行き当たりばったり成せばなるようにするしかない。。。
食い入るような目でオレを睨んでた長官は、今度はさり気ない口ぶりでボソリ言った、、
「で?日本の女はどうだった?」
「……….はい?」
「日本の女はどうだったと聞いてるんだ!このブタ野郎!」
おそろしい剣幕!最初、何がなんだかよく分 からなかった。だが瞬時にすべてが分かった。そしてオレは渾身込めて怒鳴り回答した。
「はい!長官に報告いたします!日本女性の肌はライチ(荔枝)の様に白く、透明で、みずみずしかったです!学生マー報告完了!」
ライチ(荔枝)
回答を終え、オレは少し歯を見せ、ニヤリ返した。
長官のギラつく炎の様な目つきとは裏腹に、そいつの 微かにニヤリした口元をオレは見逃さなかった。
「もういい!訓練に戻れ!」オレの答えに満足したかのように長官は素っ気なくオレを追っ払う。
「マー、訓練場に戻り課目を続行せよ!」傍で観ていた連隊長がオレに号令する。
「はい!学生マーただいまより訓練場へ戻ります!報告完了!長官方々に敬礼!礼終わり!」
オレはそそくさに訓練場へ逃げ帰った。
駆け足で戻る途中、さっきの会話がオレの脳裏をかすめる、、
「今のはいったい何だったんだ?」
何はともあれ、この長官はそのうちライチの新しい食べ方を 見出すだろうと思うと、少しだけ気持ちが軽くなった(笑)。
(P.S. 台湾で女性の肌をピーチに喩えてもピンと来ない人が多い。郷に入れば郷に従えだ。)
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部隊配属へ
「成 功嶺」で二か月シゴかれた後、自分の専門分野として台北にいる「衛生勤務学校」に入る。ここでまた一か月以上衛生勤務の科目を習得 しなければならない。
(軍の応急処置訓練イメージ写真)
課程を終えた我々は一斉に抽選に参加し、これからどこへ配属されるか決めることになる。クジは番号になっててそれがどこを指すのか誰にも分からない。
オレが引いたクジ番号は今でも覚えている。「 9099XXX 」だ。
学校の先輩にその番号について質問した。
「その番号は本島(台湾島)には間違いない。。。」
「しかし相当ヒドイところだと聞いている。誰か有力者に頼んで外島(金門島、馬祖島)に換えてもらえ。」
「でも先輩、外島だけはイヤです。カノジョに逃げられます。」
「だからお前は考えが浅いんだよ。」と、先輩にバカにされる。
カノジョ会いたさ故、何の手立ても打たずに、運命に任せっきりの自分を待ってた配属先は、オレの想像を絶するところだった。
そこは、、、陸軍第 64 独立装甲旅団 - 支援大隊 - 衛生連隊、、、
(64 旅の戦車部隊)
「ご めん。うちのどこに配属するって?」兵士がとぼけた様な口ぶりでもう一度オレに聞く。
「はい。衛生連隊です。」オレは心細く答える。
衛生勤務学校の課程を終えたオレは汽車とタクシーで台北から高雄の大岡山の山奥に位置する 64 旅(陸軍第 64 独立装甲旅団の略)まで丸一日かかってようやくたどり着き、基地内のある仕事部屋にひとまず安置された。そこには文書作業する兵士が何人かいて、作業しながらオレと世間話をしていた。夜 10 時をまわったところだった。
「お前は運が良いよな~。衛生連隊は インテリー 集団だよ~(ドッと笑声)。だって毎晩読書や朗読の声が聞こえてくるからな〜(笑声)」
「 そうそう、何の朗読だったけな〜?」
「殺せー!斬りつけー!刺せー!」もう一人の兵士は面白がってその朗読やらの声を真似るとみんな オレ見て失笑する。
それは朗読なんかではない。銃剣道だ。だがオレには何が何だかさっぱり分からず、奴らと一緒に馬鹿笑いするしかない。
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「おい!迎えに来たぞ!」ドアから声がしてオレは世間話した連中とおさらばし、迎えに来た衛生連隊の先輩に付いて行った。
途中まで隣で一緒に歩いてた先輩と世間話してると、いきなり先輩は表情を変えオレに命令する。
「マー、うさぎ跳びで前進用意。実施!」
「はいっ!」
誰もいない真夜中の薄暗い道でオレは大きな重い軍用バッグを背負いながらうさぎ跳びを始めた。道は延々と続く。
「ど、どこまでうさぎ跳びするので、あ、ありますか?」うさぎ飛びしながらオレは途切れ途切れの息を絞って聞く。しかし 先輩は一生懸命うさぎ跳びするオレの傍で歩いてるだけで何も言わない。
ようやく衛生連隊の兵舎であろう古めかしい建物に近づくにつれ、オレの息切れ声や噂にこぎつけた兵士何人かが兵舎の中から飛び出しオレを囲み、 品定め する。
「おい!貴様、何て名前だぁ?」オレがぜいぜいして息苦しくしゃべれないでいると、
「先輩、コイツぜんぜん相手してくれないッスね」
ヤバいと思い、オレは息苦しくも直立不動で 唱名した。
「きょっ...今日から衛生連隊配属することになりました、マーと。。。」
「しゃべろと言ったかこの野郎ォ?」
ここからシゴきが始まる。
「それが「気を付け」の姿勢か?。。。キサマ~気が抜けてるぞ!腕立て伏せ用意!実施!。。。腹筋開始!。。。しゃがみ跳び用意!。。。ちゃんとやれよバカ野郎!。。。左向け左!どこ向いてんだ!。。。おい!棍棒持って来い!」
筋トレと汗だくで引き攣るオレのそばで先輩兵士たちは 罵 り続けた。
「貴様、なんでここへ来た?ここはどこだか知ってるのか。。。」
「お前、相当クジ運の悪いヤツだな。」
「お前ぜったいすぐに死ぬ。前に死んだヤツはお前よりタフだったからな!」
30 分シゴかれただろうか。最後は「貴様に正門から入る資格は無い。裏門まで匍匐前進して入れ!こっちから行け!」それで途中まで匍匐前進すると別の兵が出て来て「貴様!どこへ行く!あっちからだろうが!行け!」と怒鳴られ、結局オレは匍匐前進で兵舎を二周した。
その晩、オレは疲れと恐怖で布団の中に身ごもり息を細めて辺りを警戒し続けた。怖い。。。なぜみんなオレに恨みがあるようにオレをシゴくのか。オレが何か悪い事をしたのか?怖い。。。
(同じ時期、俺の弟は海軍陸戦隊に入隊。台湾で一番辛い、苦しい部隊だと云われる。)
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翌日 朝、点呼を終えたオレは期別の近い二人との合計3 人連隊長室に入り連隊長に挨拶する。
初っ端から連隊長はオレたちのプライベートにツッコむ。
「お前ら 3 人、カノジョのいるヤツ手を挙げろ」
オレたち三人とも恐る恐る手を挙げた。
「チッ!畜生め!」連隊長は舌打ちした。
「お前ら、カノジョとのトラブルで簡単に休暇取れると思うなよ。いいか、よく聞け。連隊長のオレはな、自分の母が病院で息を引き取った日も母の最期を観ず に基地の朝礼で国歌を斉唱し、国旗が舞い上がるのを感無量で見届け愛国の涙を流したんだ。貴様らもその覚悟でいろ!」
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百発百中から学んだこととは。。。
オレ が衛生連隊に配属して 、まだ下っ端の下っ端だった頃のお話し。ある射撃訓練の日のこと。
「おい、マー、この T 先輩が手入れした銃を使え。百発百中の銃だ。」
半信半疑 だったが自分の順番になるとその T 先輩の銃で目標に狙いを定め 6 発の銃弾を発射した。
(射撃訓練のイメージ図)
結果は。。。
「六発全部命中!」
「おおっ!マー、やるじゃないか!」
「本当に百発百中の銃だ!いや、俺の腕によるところが大きいかな?!」
オレは有頂天になった。みんなの前で大きくガッツポーズをとった。「なあ~んだ、 簡単じゃん。」心底そう思った。
「射撃テストの時もこの調子で行けよ!」
と、先輩たちに励まされた。
数日後、射撃テスト本番の日。
オレは同じ T 先輩の銃で訓練時よりじっくり狙いを定め 6 発の銃弾を発射した。
(射撃訓練のイメージ図)
今度は真剣に狙いを定めたんだ。ひょっとすると六発とも同じ点に命中するかも知れないぞ。内心ウッヒッヒ笑う。
結果は。。。
「六発とも外れ!」
えっ?何で?あり得ない!どうして?
射撃を終えた我が連隊 が兵舎へ帰還する途中、
「六発全部外れたヤツは今から匍匐前進で兵舎まで行進!遅れるな!」
連隊長の命令に従い、兵舎から少なくとも 1 キロある距離からオレは列を離れ匍匐前進 を開始した。
(匍匐前進のイメージ写真)
兵舎に着いた頃、オレの軍服はボロボロの布切れと化し、手足も擦り傷だらけで血がにじみ、自分は兵士なのか、ルンペンか変死体か区別できない狼狽ぶりだった。
しかしオレに同情する者はいない。
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その晩、痛みを堪え手足に赤チン塗ってる時にそばでオレを観てた先輩がポツリと言った。
「お前、訓練の時 T 先輩の銃で 6 発全部命中しただろ。あの時 T 先輩に「ありがとうございましたー」って一言ぐらい感謝の言葉を言うべきじゃなかったのか?」
その一言でオレはハッとした。
不覚だった。
これで全ての謎が解けたのだ。
そうか。そうだったのか。。。
それ以降、軍の日常生活や課目活動で自分に手柄があってもどんな些細なことでもオレは必ずみんなの前で大きくこう言う。
「勝手ながらもこの場を借りて私の先輩への感謝の意を述べさせてください。私はどうしても先輩の思いやりのある、私を勇気付けた先輩の心強いお言葉を衛生連隊の皆さんと分かち合いたいのです。」
もちろん瞬時に涙ぐむ演技も出来るようになったことは言うまでもない。
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我が64旅-衛生連隊の輝かしい伝統
部 隊配属してから二か月経ち、オレは下っ端の二等兵から三段跳びして下士官となる。
普通は二等兵、一等兵、上等兵、下士官と上がるのだが、
兵種学校(オレの場合は衛生勤務学校)から出た兵士は配属先の部隊で下士官になるのが慣わしであった。
士官と兵士の区別として士官は指揮官の一種で兵士は士官の命令に従わなければならない。
下士官は班長という肩書きを同時に持ち、数週間ごとに当直が回ってくる。当直した班長は1日24時間、寝てる時でも常に部隊の状態を把握し、団体行動の際その指揮を取り、訓練の補佐役、長官から与えられた任務を確実に遂行する。。。
これがオレの人生を大きく変えることとなる。
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その頃( 1990 年ごろ)、台湾南部では治安が深刻な社会問題と化していた。
街に溢れるヤクザやチンピラ、ゴロツキ、非行少年。そして彼らが引き起こす社会問題の数々。
ヤクザのイメージ写真
彼らもまた、兵役に就かなければならない。
人を殺しかねない、命を惜しまない大物ヤクザは軍のどの部隊にもいる。 だが彼らは比較的おとなしく、長官の命令に服従し、強い愛国心がある。
問題はチンピラである。
日頃から素行の悪い、怖いもの知らずの彼らが軍隊に行っても問題の種でしかなかった。長官の命令に不服従、周りの不良らと揉め事を起こし、麻薬、盗み、脅迫。。。社会の非行を軍の中に持ち込み、問題を表面化 させた。
彼らを厳重に注意した他部隊の隊長が休暇先でチンピラ子分による嫌がらせ事件が多発。これが旅団長(基地指揮官)の耳に届く。
「旅団長、これでは訓練も出来ません。」
戦時 中ならチンピラなど第一線に放り出して自爆自滅させても構わないだろうが今は平和時。手荒は許されない。かと言って軍人もただの人間であり、 家族もいる。
「仕方がない。手に負えないチンピラどもは戦闘部隊から外せ。」
「ではどこに配属させますか?」
「そうだな。ゴミ回収場みたいなところはないか?」
戦闘部隊は陸軍の華である。彼らは徹底的に訓練され、いつどこでも戦争する準備を整えている。軍のエライ将軍たちは常に戦闘部隊を視察に来るため、軍人の昇進は如何に戦闘部隊を厳しく鍛えるかが王道とされる。
一方、日ごろ長官のお目にかからない、目立たないところに支援部隊と言う存在がある。これは戦闘部隊を補佐する部隊のことだ。我が装甲旅団の場合、支援部隊は補給運輸、保養修理、衛生勤務の三つの連隊から成る。これを簡単に説明すると:
補給運輸連隊:弾薬、食糧その他すべての戦闘物資の補給を任される連隊だ。物資は重いものが多く、兵士は体格のガッツい農民の息子が多い。彼らは一日中太陽の下でせっせと仕事しても文句ひとつ言わない。
保養修理連隊:これは戦車、装甲車、トラック、ジープなどを修理する連隊だ。したがって、車輛修理のスペシャリストが多い。また、装甲旅団は車輛がべらぼうに多いため仕事は超ハードで常に徹夜まで仕事している。
衛生勤務連隊:負傷者の手当てをする部隊。今は平和時だから負傷者はあまりない。
と、こう解説すればたとえ旅団長でなくても一番ヒマそうでやることがない部隊と言ったら衛生勤務連隊だと分かる。
よって戦闘部隊から蹴り出された不良らは我が衛生勤務連隊に配属することになった。 それが好評で病みつきになったのか、それ以降、社会のゴミは衛生勤務部隊直行がコンセンサスとなり、それが我が 64 旅衛生連(衛生勤務連隊の略)の文化となる。
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台湾すべての衛生連隊は毎年、中壢の基地で再訓練することになっている。そこで新しい救急医療や器具を習うのだが、軍人である以上兵士の基本である戦闘術も疎かしてはいけない。
訓練の終わりに総合テストがあり、星の数だけある中華民国の衛生連隊でトップファイブに名乗れる部隊はほとんど特殊部隊扱いである。
そんな厳しい競争の中で 我が 64 旅衛生連はなんと、
二年も連続して第一位に輝いた名誉ある部隊なのだ。
だがこれは医療の分野からではなく、銃剣道などの戦闘術によるものだった。
それは鬼畜先輩たちの昼夜ない殺人訓練で果たした悲壮 で壮絶な「二年連続第一位」だったのである。
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その後、我が衛生連の文化はいよいよ特別なモノとなって行く。ここへ来る兵士にマトモな者は少ない。大物ヤクザはマトモ の部類に入る。マトモでない兵士は以下三つに要約した。
1. 社会の粗大ゴミ類(チンピラ、ゴロツキ、 ドラッグ(麻薬)常習犯)
2. 仮病なのか本当に発狂したのか区別できない精神異常者。
3. 父が将軍など、コネのある奴。
戦闘部隊が最も嫌がる兵士すべて我が衛生連に集められたと言っても過言ではない。
そこは軍隊のイメージと大きくかけ離れた狂気の世界である。
そしてオレを含め数人 の 真面目な下士官が彼らを統率する羽目となった。
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入れ墨のチンピラ先輩と、後輩だけど下士官のオレとどっちがエライ?
毎 日の激しい訓練のあと、公衆浴場での洗浄時間。それは最も気の安らぐ時間であるとともに我が衛生連の士官にとって最もストレスを感じる時だ。と言うのも、いったいここは軍隊なのか刑務所なのか目がくらむ時があるからだ。入れ墨した男たちがたらいの水で豪快に流す場面は壮観である。アニキ~の呼び声が交わう。
夜の洗浄時間も団体行動である。班長であるオレが兵士たちを公衆浴場まで行進で連れて行き、洗浄させた後兵舎まで連れ戻す。ただし班長(士官)は軍服を着たままの監視役、部隊が就寝してから1人で時間を見つけて身体を洗う。
(網走刑務所の写真。当時の軍隊はこれよりも入れ墨の数が多く、壮観だった。ただし風呂はない。)
「テメー何だその目つきは!オレに恨みでもあるんか~!」
些細な事で逆切れした先輩はいきなり隣の病弱新兵を思いっきりガツーンと殴る。
「ヒエッ~!班長~僕を助けて~!」 殴られた新兵は オチンチン 激しく揺ら し ながら オレの方に逃げて来 る。
「コラッ!君たち何をしている!」
「おい、マー、調子乗ってんじゃねーぞ。。。」先輩の顔がドス黒くなっていた。
「せ.....先輩、こんなところで暴れては困ります。」
「ちくしょう、腹の虫が収まらねー!お前ら全員、腕立て伏せ用意だ!」士官でもない先輩が怒り爆発で公衆浴場に居る全員に命令する。みんな先輩の言う通りに身体をしゃがみ込もうとする。
「動作止め!先輩は士官じゃないから命令は無効だ。聞くな!全員、立てっ!」
みんなその場で固くなる。 どうすればいいか分からない。 先輩の命令を聞くか、 それとも( 士官だが)後輩であるオレの命令を聞くか。
「テメーら、ぶっ殺されてーのか!腕立て伏せ用意!」
「先輩の命令を聞くな!全員起立!」
「キサマ~後輩の分際で。。。!」言い終わらないうち 先輩の拳がオレの顔 に のめり込み衝撃と勢いでオレは浴場の隅に転がり込 んだ。
「オレは貴様みたいなクソ大卒兵が大っ嫌いなんだよ!」まったく手加減なしのパンチだった。
「先輩。。。もういいッショ.....?」頭フラフラ、目の前真っ暗になりながらも立ち上がって唇に滲んだ血を拭きとり、オレは先輩を睨み返した。
「キサマこれで済むと思うな~」
「三分後に浴場外の空き地に集合。実施!」
「先輩 、あなたもです。」オレは周りで固くなった兵士たちに命令し先輩に念を押した。
三分後みんな空き地に揃った。ただし、先輩を除いて。彼はまだ浴場でゆっくり服を着替えている。
待つことさらに3分。やっと 先輩はとぼけた顔で浴場から出てオレは皆を率い兵舎へ行進して帰った。
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当時の軍隊は先輩による虐めが横行し、 侮辱、法外な筋トレ、殴る蹴るなどの暴行を繰り返 していた。 それが軍隊の士気を下げるとされていた。 我が士官たちはマニュアルに載ってる方法、言語で兵士を統率すること であり、軍 隊 の ヤクザ文化を断ち切ることにあった。しかしそれは無理な話だった。
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兵員不足
連隊とは約120人程度の戦闘集団である。だが我が64旅衛生連の総人数は80人足らずで、兵舎は常にその三分の二の60人足らずしか居ない。残りの30人近くは別の駐屯地(大岡山) にいる。ここに当時の戦略のしわ寄せが感じられる。
その頃(1990年代)の中華民国陸軍は中国侵攻を視野に入れており、金門と馬祖の両島におよそ20萬近い兵士が集められていた。ほぼ満員である。そのかわり台湾から多くの兵士を引き抜いて行ったため台湾の残兵は少なくなり、多くのところで兵 員割れが起きた。
とりわけ我が衛生連は60人足らずの人数で兵舎と基地の哨兵、30台近い装甲車、ハンマー救急車、トラック、ジープの保養と警備、基地診療所に人数をばら撒かなければならない。この他にも文書兵、経理兵(物資調達係り)が常に業務で兵舎に居なく、残った30人足らずで戦闘訓練、救急訓練しなければならなかった。
また、兵士の中には何を考えているのか分からない輩もいて、訓練中にレンガを自分の頭にぶつけて割れるなど自害する精神異常者もいた。彼らを警備に立たせる事も出来ず、出来ても形だけで傍にはマトモな兵士が監視に付く形で勤務する。おかげで警備はいちじるしく公平性に欠け、それで兵士の間でもめる事が多かった。
また、装甲部隊だから車輌は多い。マトモで運転免許がある兵士は平均3台の車輌を任せられる。オレの場合ハンマー野戦救急車一台、2トンハーフトラック二台任せられた。
(ハンマー野戦救急車)
(2トンハーフトラック)
当時ハンマー野戦救急車は舶来品と高級品なため特別な免許が必要だった。その特訓もしてオレはハンマーライセンスを取った。
(M-113装甲人員輸送車も衛生連の主な装備)
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歩哨に立つ
基地警備はゆっくり自分に浸れるひと時であると同時に最も実戦に近い時間でもある。普通、歩哨は二人がペアーになっており、お互い一時間ずれて立ち、二時間後に降りる。
先輩達との警戒は互いとの関係を縮めるのに役立つが、逆の場合もある。 歩哨は人影のないところにいる ので下っ端時期 によく完全武装で筋トレされた。
深夜になると先輩は銃剣を付けた銃を棒代わりにオレの太ももに突いて立ち居眠りする。銃で支えてるから立って 居眠りしても 前に倒れない が、居眠りが深くなると先輩の体重で銃剣がオレの太ももに深く食い込み異様に痛い。
「痛いッスよ、先輩.....これ、退けてくれませんか?」
すると居眠りしてた先輩が寝ぼけた口調で、
「マー.....お前の居眠り予防だ.....」
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歩哨は基地外の一般人にも注意を払う。
基地の外は常にチンピラどもが目を光らせており、塀から気の緩んだ歩哨(警備勤務の兵士) の隙を見て 銃と弾をかっぱらおうとする。実際、オレが部隊に配属される前にそれは起きている。 どれだけその頃の治安が悪かったか分かるだろう。夜間警備の時は銃のベルトをしっかり腕に巻き悪党に奪われないよう警戒する。それは実戦さながらである。外でモゾモゾ音がすると「ついに来たか!」と背筋が凍り、銃を向け大声で「手を挙げて出てこい!さもなくば容赦なく打つ!」を号令していた。
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基地の大門の警備も緊張の連続で、人が通るたびに呼び止め、暗号をかけ合う。暗号は毎日違っており、暗号を知らない者が強行すれば容赦なく射撃していいことになっている。だが、中にはまったく暗号を覚 えたがらない 長官も居て、暗号も言わずに大門に入ろうとしてオレ達が止めると、
「オレは顔パスなんだ。それぐらい覚えとけ、馬鹿野郎!」
で、すんなり入られてしまう。もちろんその長官、実際に基地の者だが。。。
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駐車場の警備もキツかった。そこにはもう一つの脅威に曝されていた。ほかの部隊からやってくるドロボーたちである。
軍用車両の整備や修理は何かと部品の交換が必要で、その部品の申請、調達にすごく時間がかかる。基本的にどの部隊も同じ車輌を使っているので部品は共用できる。だから早い話、盗んだ方が早いのだ。しかも それは 夜に音もなく忍び寄って来る。
「おーい、そこで隠れてるヤツ、第XX連隊の者だろー?さっきからずっ~と目つけてんだ ぞー!とっとと帰れや、この馬鹿野郎!」
すると隠れていた人影が本当に去っていくのである。
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最後に、夜間の衛兵にとって、いや、都市から来た者にとって最も辛いのは害虫対策である。特に南部野生の蚊は恐ろしい。
どんなに蚊避けスプレーしても蚊は襲ってくる。しかもゆっくり飛んでくるのではなく、ぶつかってくるのだ。どんだけ血に飢えてるのか。ただし田舎で育った農民の息子はなんとも思わないらしい。恐れ入った。
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64旅衛生連の風物詩:夜間の銃剣道稽古
オレたちが最も怖れていたもの。それは夜に行われる衛生連の名物。鬼畜もだまる銃剣道の稽古だ。
夜の点呼を終えた後、普通は30分程度の自由時間がある。 だがチンピラ先輩どもはそうやすやすとオレ達を見逃してはくれない。
「これにて夜間点呼終わり!今から30分は自由活動とする!部隊解散!」
「おい、聴いたかよ?自由活動だってよ? ここは小学校 か ?」
「あのォー、隊長殿、コイツら数人銃剣道練習したいと言っておりますが?」
そんなこと言ってない!
しかし 結局オレ達数人は銃を渡され、銃剣道の稽古をやらされる。
「殺せー!斬りつけー!刺せー!」
「声が小さい!殺すつもりでやれこの馬鹿野郎!」
「殺せー!斬りつけー!刺せー!」
「それが人を殺しに行く目か?ふざけんじゃねーぞ!」
(こんな目つきしないと怒られる。アメリカのコメディーのひとコマ)
結局オレたちは就寝までチンピラ兵士たちの鬱憤晴らしのために銃剣道で遊ばれたのである。
夜は辺りも静かでオレたちの殺し声ははるか遠くまで届き、旅団長の者が注意に来るほど有名であった。
これが最初に「朗読の声」と揶揄された衛生連の風物詩、体力が尽きても、声がかすれ切ってもまだ終わらない銃剣道の稽古であった。
銃剣道の動画を見たければ(刺槍術)でググればいっぱいヒットする 。
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失恋クーデター(兵変)
(映画:軍中樂園より)
「マー、兵隊で忙しいと思うけど、どうしてもお前に伝えたいことがある。お前のカノジョについてだ。」
大学の友人からオレのカノジョがほかの男と付き合ってることを電話で告げられる。ショックだった。だが意外ではなかった。カノジョはとびっきりの美人でいつも周りに 蠅のような男たちが付き纏っていたからだ。兵隊に入って来てからオレはカノジョに精神の安らぎを求めているところがあった。
「あなたのお手紙拝見しました。兵隊の事を綴ったくだりはとても面白そうで辛かったでしょう。でも大丈夫、あなたには私がいるから。心配しないで。」
未来を語るには漠然過ぎた。何せ「兵隊の一日は社会の一年(出処:韓国徴兵オレの912日)」のように永く感じられ、いつ除隊できるのか、生きたまま除隊できるのかも未知数だった。そんな中でカノジョはオレを奮い立たせる心地良い存在だった。
しかし カノジョに電話しても曖昧な答えしか返ってこない。
そのうち通信不能になる。
「先輩、今週末どうしても休暇が欲しいんですが。。。」
「マー、気持ちは分かるがここ三か月は無理だと思ってくれ。」
同僚や先輩たちもオレにいろいろ相談に乗ってくれ る。
「心配するな。カノジョは待ってくれるって。」
カノジョのことがそのうち訓練に響くようになる。
「オレはいったい何をやってるんだ、、太陽の下でバカみたいに汗ダラダラ駆け回り、這い転げ、空虚なスローガンと軍歌を歌いながら受刑人の様に、生きた屍のように太陽の下で行進し、豚も食べない不味いメシを食わされる毎日。」
「こんな無意味に人生を無駄にしている間にもカノジョはどこの馬の骨か知らない男と付き合いだし、今も嬉しそうに股を広げているかも知れない。」
そう思うと苦痛でたまらなかった。
「だめだ.....もう限界だ。地獄だ.....生き地獄だ.....」
歩哨の時も思いは募る。
「あなたが除隊するまで待っています、と言ったじゃないか。。。ウソつき。。。」
そのうち俺の目が怪しくなってくる。
「オレには6発の銃弾がある。一発目と二発目はカノジョとその新しい男にぶち込み、三発目と四発目はカノジョの父と母に。。。こんな破廉恥な娘を産んだあんたらが悪いのだ。五発目はオレを邪魔する兵士に、だが急所は狙わない。 そいつに恨みはないからだ。 そして。。。最後の一発はオレのこめかみ目がけて打つ。
嗚呼、オレもこれで終わるのか?こんな尻軽女の為に自分の人生を終わらせるのか?無念だ。。。」
もちろん当時そこまで考えていな い。これ だけ は創作です(笑)。 また、 歩哨が持つ弾丸は12発で、 その用途をいちいち 書いたら 読者に飽きられる。ただ、似た事件は台湾で数年に一度は起きる。彼らはこの修羅場をくぐれなかった純情な男達だったのだろう。 それで命を落と された女性とその家族たちはもっと可哀想である。
オレの苦悩を察知したその筋の先輩はオレが休暇を取った日に一緒に外出してくれた。
「先輩、今からどこへ行くんですか?僕は台北に帰りたいんです。」
「 いいからオレについて来い!」
たとえ台北に行っても悲しみだけが残るだろう。
今はジクジク悲しむより荒治療がいいかも知れない。
オレは先輩に 連れられ 、高雄の夜の繁華街へと 消えていった。
(高雄の繁華街)
(ちなみにそのカノジョとは今でもFBお友達の一人である。)
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助割隊(農民のお米の収穫を手助け支援)
わが64旅は田舎のへんぴなところに基地を据えている。周りは見渡す限りの農地に囲まれている。軍民一心ということで以前から農民のお米の収穫を陸軍は手助けしてきた。
兵隊は最も安い労働力である。だから農民は大喜び。。。
と思ったら大間違い。
「二度とあんな兵士は御免だ!ならず者でサボってばかりいる!」
逆に、兵員不足であえいでいる陸軍としては軍民一心どころでは ない。 だが政策だから従うしかない。
残り数少ない連隊の中から兵員をひねり出すものだから、派遣した兵士の質は部隊よりだいぶ落ちるのは致しかたのないことである。選ばれるのは大抵ヤクザかチンピラ。農家の援助なのに農民の子が選ばれることはまず、ない。
そしてこの「ならず者集団」にも士官が必要となる。
もちろん、その士官は衛生連から来るのがベストだと来る。
その頃オレはだいぶ連隊の仕事に慣れて来ていた。だが政治作戦主任の異例の命令でオレは助割隊(農民のお米の収穫を手助け支援)に行くことになった。
「マー、お前も終わりだな、、お前、そこで死ぬぞ。。。」
確かにそこは衛生連よりヒドイところだった。基地外にいるため毎晩外でゴロツキ達とお酒を飲む兵士がいるわ、バイクで行先も教えずに勝手に消えるわで、いろいろ問題が起きた。
彼らを厳重に注意すると今度はオレの寝袋にゴキブリやたばこの吸い殻を放り込んだりされ嫌がらせを受け続ける。
だがそれは最初だけである。
彼らには一番いい対処法がある。本当のことを伝えればいい。本当の自分をさらけ出せばいい。彼らは真実とウソを見抜く技に長けている。もちろん、誠実にと言ってもかなりテクと経験が必要だ。それはオレがすでに衛生連で積み重ねている。
農民は我々を警戒するいっぽう、汗を流して踏ん張ったオレたちには色々ご馳走してくれた。
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除隊
オレにも除隊の日がついにやってきた。当時、我が部隊は中壢にいたので高雄の基地には誰もいない。
除隊前日、 誰もいない兵舎に 一人 戻り色々回った。
思えば今日までの2年間、いろんなところでいろんな経験があった。法外な筋トレ、殴打、理不尽だった日々。先輩たちと喜怒哀楽を伴にした日々。その先輩たちも一人ひとり除隊して、今度はオレの番なのだ。
その夜は衛生連の医療センターの病室で寝た。
除隊 日の 朝、起床のラッパが鳴る。慌ただしく整理整頓する必要もなくオレはあたりを見回した。みんな必死で走り回り、怒られ、その日の科目に追いやられる。
午前の時を見計らい、人事課に行くと一人の軍人がベランダに立ってタバコを吸っていた。
「長官に敬礼!長官に報告します!下士官マーただいま除隊命令を受け取りに来ました!報告完了!礼終わり!」
「分かった。ちょっと外で待っていろ。」
オレは基地のグラウンドが見渡せる木陰で長官が戻るのを待った。
数分後に長官は現れ、オレに一枚の紙をくれた。
(除隊命令(退伍令)一部機密のため余白)
「はい、これ。」それだけ言い、その長官はどこかへ消えてしまった。(笑)
俺はその紙を持って基地の大門まで来る。
その紙を見た(別部隊の)衛兵はオレに敬礼する。
「先輩!お疲れ様でした。先輩に敬礼!」
「ありがとう」 オレはジ~ンと 来る。
基地の外に踏み出した瞬間オレは自分に告げた。
ついに終わったのだ。すべてが。オレは自由になったのだ!やった〜ッ!
嬉しさと哀傷の入り混じった感想だった。
夢にまで見た除隊の日。。。
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軍に入ってオレが学んだことは多い。冷静、誠実、忍耐、謙虚。。。
偏食やいろんな好き嫌いも兵隊で矯正された。
そして友情、同僚 の愛を強く感じ、それを求めるようになる。
(私はどこでしょう?)
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前出のマッカーサーが言った言葉を思い出す。
「 100 万ドルで私にもう一度軍に入隊しろと求めても私は断る。
しかし、
100 万ドルで私の軍の想い出を買うなら私はもっと断る。」
まったくその通りである。
(終わり)
(注1)下の一冊は今でも オレ一人で食事する時のお伴であり、いつ読んでも自分の軍隊生活を顧みれる楽しい一冊である。また、この記事の一部の描写は該本に倣ったところがある。
(韓国徴兵オレの 912 日)
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